どんな人でも悪口は言われるもの|受け取るか受け取らないか|法句経の教えより
「みなにてほむる人もなくみなにてそしる人もなし」(法句経)
どんなに素晴らしい立派な人でも、その人のことをみんながみんな、全員ほめるということはありませんし、逆にどんなにお粗末な悪人でも、その人のことを全員が悪くいうこともありません。
当時、多くの人たちから尊敬され、慕われるお釈迦様の存在を面白くないと思う人も当然いたようです。お釈迦様はどのように対応したのでしょうか?
お釈迦様を妬む男の話を紹介しましょう。
男はお釈迦様の散歩のルートで待ち伏せをして、大勢の人の前でお釈迦様の悪口を言いました。
その男はお釈迦様が逆上して言い返し、その醜い姿を大勢の人に見せつけることでお釈迦様の人気が下がることを期待しましたが、お釈迦様はただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。お付きの弟子たちは悔しい気持ちで、
「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」
と、尋ねましたがお釈迦様は、ひと言も言い返すことなく、黙って、その男の悪口を聞いていました。
男は、お釈迦様がひと言も言い返さず、反応もしないので、虚しくなりました。
その様子を見て、お釈迦様は、男に言いました。
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は、一体誰のものだろうか?」
「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら、贈ろうとした者のものだろう。分かりきったことを聞くな!」
男はそう答えてからすぐに、気付きました。お釈迦様は静かにこう続けられました。
「そうです。あなたは私の悪口を言いました。でも、私はその悪口を、少しも受け取らなかった。だから、あなたが言った悪口は、すべて、あなたが受け取ることになるんですよ。」
お釈迦様は、固くて強いこころで相手の悪口をすべて聞き、心で受け止めながらも言葉では言い返されませんでしたが、心で相手にメッセージを送られました。
もしも、自分が本当に悪いことをしてしまい、注意されたならばそれは反省すべきです。
しかし、身に覚えのないような陰口や悪口をいわれて、わざわざ傷ついて心を乱す必要はありません。相手の土俵に乗らない方が良いでしょう。
歴史上に名を残した人物はえてして悪口を言われた人で、その時悪口を言っていた人は跡形もなく消えています。
お釈迦様でさえも悪口を言われることがあるのですから悪口を言う人があるからといって、気にする必要はないのです。
むしろ悪口は仏教では悪口(あっこう)と言い、十悪の一つとされております。
悪口は語殺(ごさつ)とも言うので、悪口は言葉で人を殺しているのです。
悪口ばかりの人は因果応報で必ずその罪は自分に返ってくることでしょう。
悪口を言われて、悪口で返すのが、「受け取った」ということだと釈迦は説かれています。
悪口を言うか、言わないかは、相手方が決めることです。
その悪口を受け取るか、受け取らないかは、こちらで決めれば良いのです。
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