大洞山雲林寺は、吾妻郡長野原町大字長野原のお寺です。発祥は、後閑(現在の安中市上後閑)の長源寺の末寺となっています。
- 本尊:釈迦如来
- 開山:為景清春
- 開基:海野長門守幸光
大洞山雲林寺の所在地は、日本三大名泉で有名な草津温泉(群馬県)より7キロ先、国道145号に面した、吾妻郡長野原町の中心部の北側の台地上にあります。
弘長3年創建
雲林寺は、弘長3年(1263年)に臨済宗妙心寺派に属する龍幡和尚が創建されました。創建場所は、大字長野原字火打花(ヒウチバナ)にありました。その後、大字長野原貝瀬(カイセ)に移ったようです。
大字長野原内を移転したため、この霊地は寺屋敷と呼ばれています。創建より約300年間、非常に栄えていました。ところが、大火災で亡失してしまいます。
永禄2年大火災からの再建
永禄2年(1559)3月15日、海野幸光が開基となって現所在地となる大字長野原に伽藍を再建しました。
海野幸光は、戦国時代に西吾妻地方の吾妻川左岸に勢力を持っていた国衆です。戦国時代の羽根尾城に拠った羽尾景幸の孫にあたります。海野幸光は、天正9年(1581年)に真田十勇士の伝説で有名な真田幸村の父、真田昌幸に滅ぼされました。
永禄2年(1559年)、後閑(安中市上後閑)の長源寺九世、為景清春(イケイセイシュン)が曹洞宗大洞山雲林寺として創建され現在に至っています。為景清春の開いた寺は、大洞山雲林寺の他に3つあります。
- 宝昌寺(群馬県高崎市矢中町1014)
- 長伝寺(群馬県安中市板鼻2丁目5−21)
- 桂霊寺(長野県佐久)
近世に入り、大洞山雲林寺は沼田藩真田氏の支配下にあって、寺領田畑三十町歩、檀家400人の規模でした。
天明3年浅間山の噴火
天明3年(1783年)7月8日、浅間山の噴火によって吾妻川流域の村々は一瞬にして溶岩泥流に溢れ泥海と化しました。当時の大洞山雲林寺でも甚大な被害がおよびました。
天明3年浅間山の噴火による長野原町の死者数は、当寺の人口の半分にあたる約200人ほど、71軒の家屋が倒壊して田畑の8割が被害に遭いました。
大洞山雲林寺は、柱二本だけを残して泥流に消えました。その後、地元の有志が集い倒壊した寺を再建して現在まで護持されてきました。天明の噴火当時の住職であった13世枝転梅応住職は、大噴火の際、過去帳だけを持ち逃げることができました。そのため、明暦4年(1658年)以降の記録が当山に保管されています。