追善供養|年忌法要はなぜ3と7なのか|お供え物は仏様の好物を
今年は当山の5世 古山呑秀大和尚の 400回忌 にあたります。
寛永元年(1624年)にお亡くなりになりました。日本史でいうと徳川家光が第3代将軍となる頃です。命日の6月に本堂にて内々で400回忌法要をつとめる予定でおります。
四十九日法要、一周忌、三回忌、七回忌…これらの供養を追善供養といいます。
追善供養とは、生きている方が亡くなった方へ向けて行う供養です。生きている人が亡くなった人の冥福を祈って行う供養のことを指します。故人のために善を積むことで、故人がより良い世界に生まれ変われるよう応援することになるとともに、その善行が自分自身にも返ってくると考えられています。
このように徳を回し向ける「回向(えこう)」という考え方があるのも仏教の特徴です。
年忌法要は必ずしもしなくてはいけない、という決まりはございません。
「亡き人を偲んでみんなで思い出話をするために行われるもの」「遺された家族が、自分自身の気持ちに区切りと決着をつけるために少しずつ故人の死から立ち直っていくために行われるもの」という性格も強くなっています。
遺影写真に手を合わせたり、お花・供物を供えたり、お墓参りをするだけでも十分な供養です。親族が集まり、ご自宅で故人の好きだった曲をBGMに聴きながら食事をされても良いでしょう。仏教の考え方も取り入れながら、自由なスタイルでの御供養でも良いと思います。
故人の霊が喜び、安心できるように、生きている者が自らの生活を見つめ直す機会でもあります。
基本的に年忌法要には「3」または「7」の数字が含まれます。「3」と「7」が付く理由には諸説あります。
「7」は、お釈迦様が生まれた時に7歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったこと。また、六道(迷いある者が輪廻する世界)を超えて悟りに至る、「六(6)を超える⇒7」という意味があると言われます。
「3」は、同じように「2を超える」という意味です。「有・無」「勝・負」「損・得」などのように両極端に偏った考え方を離れ、中道(ちゅうどう)の生き方を意味します。中道は、仏教では大切な考え方であり、お釈迦様も息子に「二を超える生き方をせよ」とおっしゃられています。
このように、毎年は法要ができなくても、仏教で大切とされる数字の付いた年忌だけは、きちんと法要を行う習慣ができたとされています。
年忌法要では「お供え物」を用意致します。
一般的には「果物盛り」が多い様ですが、私は「大好きだったお菓子や食べ物」「よく飲まれていたドリンクやお酒」など故人にゆかりのある「お供え物」がございましたら一緒にお持ち頂くよう、お声かけしております。
施主様より許可を頂き、撮影させて頂きました。故人様はビールと柿の種が大好きだったようです。
このように、故人様の一番好きだったものを「お供え物」とするとより心のこもった供養になるでしょう。
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