字も書けない修行僧を最高の聖者にしたお釈迦様の指導力|掃除も修行|徳を与えるとは
お釈迦様の弟子の一人にチューダ・パンタカ(周利槃特)という方がおります。
自分の名前が書けない。
お経一つ覚えられない。
チューダ・パンタカは、いわゆる勉強のできない人でした。
しかし最終的に、お釈迦様は十六羅漢と称される、優秀な弟子の一人に選びました。
なぜ、お釈迦様は勉強のできないチューダ・パンタカを選んだのでしょうか?どのように指導したのでしょうか?
チューダ・パンタカは先にお釈迦様の弟子になった兄のマハー・パンタカのすすめで弟子入りしました。兄はいわゆる優等生でした。
チューダ・パンタカは、四か月を過ぎても一つの句さえも覚えることが出来なかったそうで、自分の無能さを恥じ、周囲からの兄との能力の比較も相まって、教団を去ろうとお釈迦様に相談します。
お釈迦様は「自分を愚かだと知っている者は愚かではない。自分を賢いと思い上がっている者こそ、本当の愚か者である」と説き、彼に箒(ほうき)を与えて、「塵(ちり)を除く、垢(あか)を除く」と唱えさせて修行施設を掃除することを教えました。
以後チューダ・パンタカはお釈迦様の教えを守り、ただひたすらに掃除をし続けたそうです。
釈迦の教えを忠実に守り何十年も掃除を続けたチューダ・パンタカはやがて本当に落とすべき汚れが
貪(とん=欲しがる心)
瞋(じん=怒る心) 痴(ち=無知の心) |
であることに気付き、悟りを得て阿羅漢果(あらかんか=六道を脱した涅槃の世界)に到達しました。
他のお釈迦様の弟子たちは説法を聞き、自らも坐禅することで修行を重ねました。
お釈迦様の教えを聞くことはとても重要なことであり、優秀な弟子たちは皆こぞって難解な教えを聞き、暗記して実践していたのです。
…そのような中でチューダ・パンタカのように何も覚えられない者は優秀な弟子にはなれないし、日々何をしてよいか分からなくなり、目標を失うことになるのです。
しかし、お釈迦様はこういった愚鈍の弟子に対しても悟りを得る方法を示したことが仏教の素晴らしさであって、何も出来ないからと諦めてはいけないと説いているのです。
チューダ・パンタカはお釈迦様が説いた修行法である、
①「塵(ちり)を除く、垢(あか)を除く」を唱える事
② 唱えながら掃除する事
ただこれだけを忠実に実践し続けた結果として悟りを開いたのです。
チューダ・パンタカはお釈迦様の難解な教えを聞き続けた訳でも、坐禅を続けた訳でもないのです。
ただ、一つのことをやり続けることだけで十大弟子の仲間入りを果たせたのですから、すごいことです。
迷いが無いと言うことが最も大切な事であり、チューダ・パンタカは何の疑いも無く、掃除という持ち場を与えられて、そのことに励んだのです。
忠実に実践し続けたことが悟りに繋がったのでしょう。
通常なら チューダ・パンタカは何の役にも立たたない自分自身の無能さ に落ち込んでしまいます。少しでも高度な修行をしたいと思うでしょうし、掃除をすることは下っ端の者がすることであって修行僧がすることではないと思うでしょう。
しかしその掃除こそに大切な悟りへの道が通じていたのです。
お釈迦様はチューダ・パンタカを十六羅漢と称される高弟の一人に選んだ理由を問われると、
「チューダ・パンタカの一生懸命、物事に打ち込む様子は、言葉を発せずとも周りに徳を与える」
と答えたそうです。
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