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脚下照顧(きゃっかしょうこ)|足下(あしもと)に注意を|確かな足取りで歩む|

群馬県吾妻郡長野原町長野原73 雲林寺0279-82-2201

雲林寺の玄関には、「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)という言葉が掲げられております。

言葉の意味は、「履物を揃えましょう」という意味であり、玄関に掲げられているわけであります。しかし、この言葉の真意はさらに深いところにあります。

「脚下照顧」(自らの足元を照らし、自らを顧みる)、読み解くと、「今の自分の置かれている状況をしっかりと確認し、よく見極めて行動していきましょう。」と、このような意味になります。

「脚下照顧」にはエピソードがあります。

昔、中国に法演(ほうえん)という禅僧がいました。そのお坊さんが、ある晩、3人の弟子を連れて寺に帰る時のことです。暗い夜道ですから明かりを灯さねば帰れません。その時、風が吹き、灯が吹き消され真っ暗になってしまったのです。

一向はそこで立ちすくみます。その時、法演が三人の弟子達に向かって質問をしました。「暗い夜に道を歩く時は明かりが必要だ。その明かりが今消えて真っ暗になってしまった。さあ君達、この暗闇の中をどうするのか言ってみなさい」と。

ここで暗闇とは、「自分の行く先が真っ暗になった人生」ということです。例えばあなたならどう切り抜けていきますか?という問いです。

弟子たちは、それぞれ自分の気持ちを言葉に出して述べました。

一人目は「この暗闇の中、大自然を大いに楽しみます」

二人目は「真っ暗闇の中、この曲がりくねった道は、まるで真っ黒な大蛇が横たわっているようで不安です」

三人目は「真っ暗で危ないから、つまずかないように足元をよく見て歩きます」

三人目のこの言葉が師匠の心にかない「その通りだ!」と絶賛したということです。

暗闇の中だからこそ、自分の足元をちゃんと確認しないと危ないのです。

私たちは自分自身の足で歩いているようで何かに流されて歩いていたり、誰かの後ろをついて歩いていたりしていることがあります。

現代の情報化社会、パソコンを立ち上げれば「おすすめ記事」「関連記事」等、次々情報が飛び込みます。子供達の動画鑑賞やゲームも同じです。次々と面白そうな内容が入り、時間を忘れて見続けてしまうようです。

自分から求めることなく次々情報が入り、情報に流され、地に足がついていない状態になってしまうこともあるでしょう。

「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)という言葉は、時には立ち止まり、何のためにどこに向かって歩いているのか、そのことをしっかりと自分自身で見つめなさい、と私たちに問いかけているのです。

立ち止まってもいいのです。

自分自身の足もとをしっかり固め、確かな足取りで歩んで行きたいものです。

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