「いじめ」は仏教的に悪行です|因果応報|自業自得
いつの時代も人々を悩ます「いじめ」
「いじめ」は人の考え方や人生を変えてしまうほど強い恐ろしさを持っています。
その「いじめ」は人間社会だけでなく、魚の世界にも存在するそうです。
メジナという魚は海の中では仲良く群れて泳いでいます。しかし、狭い水槽に何匹かを一緒に入れると、 1匹を仲間はずれにして攻撃し始めるそうです。
かわいそうなその魚を別の水槽に入れます。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めます。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。今度は、いじめっ子の方を水槽から出してみても、新たないじめっ子があらわれます。
広い海では仲良くしていた同じ種類の魚が、小さな世界に閉じ込めると、なぜかいじめを始めるのだそうです。
「いじめ」は、被害者も加害者も子どもである「学校」に多くあるように思いますが、「職場」「近隣の知人」「田舎のムラ社会」「ネット上のグループ」にも生じます。所属の単位の中でターゲットを見つけ、いじめが生じてしまうのでしょうか?
結論から申しますと、いじめを行う人は劣等感(コンプレックス)を抱えているため、誰か他人を下げて、自分が価値のある人間だと思い込みたいという心理なのではないかと思います。
仏教の教えに因果応報(善いのも悪いのも、自分が受ける結果のすべては、自分が作る)とあります。
小学生・中学生時代に酷いいじめにあったある少女のお話をご紹介しましょう。
少女が二十歳になった時に、同窓会の招待状が届きました。
「あれほど私をいじめておいて、招待状が届くとはどんな神経なのか?」
と激怒し、無視して欠席しましたが、その5年後の25歳の時に再び同窓会の招待状が届き、気まぐれで出席してみたのです。
ひとりひとり、マイクの前で挨拶と近況報告を、という流れになり、何を話すか全く考えていなかったのですが、自分の番が回って来た時、以下の事を言ったのです。
「私は皆さんから酷いいじめ受けました。申し訳ないですが、皆さんは、早かれ遅かれ不幸がやって来ます。
会社で私を理不尽にいじめた上司達は、皆さん全員不幸が起きています。私が何かしているわけではないので、助けてあげようにも助けてあげられない。もしかしたら、今この中の方にも、すでに心あたりあるがある方もいるかもしれません。大変でしょうが、過去の報いだと思って、過ぎ去るまで頑張って耐えて欲しいと思います。」
上司のいじめは作り話なんだそうです。でも「すでに心あたりある方もいるかもしれません」の下りで多くの同級生が青ざめてたのを、かつていじめにあった少女は確かに見たそうです。後日、自宅を訪れ謝罪した人もいたそうです。
いじめる者は因果応報、そして自業自得で最終的に自分がその報いを受けることになるのです。
恐ろしいのはブーメランのように、投げた時の2倍、3倍もの強い痛みを伴って、自分が受け取ることとなります。
誰か他人を下げて、簡単に自分の価値を上げてもそれは長くは続きません。
いじめは仏教的に悪行なのです。
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