般若心経入門②|わかりやすく解説します
般若心経入門② 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是
ここでは、弟子である舎利子(シャーリプトラ)に向けて
この世の形あるもの全てには実体がなく、実体がないからこそあらゆる形を得ることができる。これは人間の感覚についても同じである。
と、呼びかけています。
舍利子 |
ブッダの弟子のシャーリプトラよ。
私が知り得た真実とは、「自分は存在しない」という驚くべき事実なのです。 今からその真意について簡潔に話をするから、よく聞いて下さい。 |
色不異空 空不異色 |
「体」は存在するのではなく、いろいろなものが集まってできた「物体」を、私たちは体と「呼んでいる」にすぎないのです。
あらゆる物体は、それ固有の実体が存在しているのではなく、あくまでも何かが集まった「状態」にすぎない。 この、「あらゆる物体に実体はない」という真実を、「空(くう)」と名付けます。 これから私が「空」と言ったら、「物体に実体は存在しない」という意味であると覚えておいて下さい。 |
色即是空 空即是色 |
私たちが感じとるあらゆる物体は、固定的な実体がなく「空」という性質によって成り立っています。
存在は「空」であり、変化をする性質であるからこそ、あらゆるものは形をもつことができ、また形を変えることができるのです。 もしも固定的な物体が存在したら、その物体は何をどう加工しようとしても変化をしないことになる。変化をしないから固定的な物体なのです。 しかしそのようなものは、この世界のどこにも存在しません。 どのようなものであっても変化をし、だからこそこの世界には多種多様な姿や形をしたものが存在しているのです。 |
受想行識亦復如是 |
そしてその「空」という性質は、物体だけでなく、精神作用(心)にもあてはまります。
精神作用(心)は、形こそないが、変化をするという法則の中にあります。 物体も、精神作用(心)も、どちらにも固定的な実体は存在しないのです。 固定的な存在としての「自分」は、どこにも存在しないのです。 ただ、私たちは「考える」という営みができ、「自分」という概念を想起することができます。 この身と心を具えた一つの物体、つまりが自分という存在を、自分だと認識することができるのです。 「認識してしまっている」と言ったほうがより正しいのかもしれません。 「自分」という存在は固定的な存在ではなく、流動的な「状態」の一つにすぎず、結局自分も「空」であるのです。 |
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