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七福神の笑顔

雲林寺0279-82-2201 群馬県吾妻郡長野原町長野原73

日本人にとって馴染み深い 七福神

宝船に乗った七福神 をモチーフとしたものを目にする機会は多いかと思います。

群馬県吾妻郡長野原町長野原73 雲林寺0279-82-2201

七福神 は寺にも神社にも奉ってありますが、仏さまなのでしょうか? それとも神さまなのでしょうか?

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恵比寿(えびす)は神道の神様

大黒天(だいこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(べんざいてん)は仏教の守護神

寿老人(じゅろうじん)と福禄寿(ふくろくじゅ)は道教の神

布袋(ほてい)は禅僧

つまり、七福神は神道・仏教・道教などが日本で融合した神々であります。

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七福神の信仰は室町時代の末期に始まり、当時の庶民性に合致して民間信仰のもっとも完全な形となって育てられてきました。

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七福神にしては気の毒な前半生の恵比寿(えびす)

恵比寿(えびす)は日本書紀に出てくる国造りの神 イザナギノミコト の子供とされます。

しかし3歳になっても自分で立つことができなかったため葦(あし)の船に乗せて海に捨てられてしまいます。

海に流されを漂着したところが西宮であり、人々の手によって手厚く祀(まつら)れ、神様になったといわれています。

釣竿(つりざお)を持った親しみ深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁昌の神様としても信仰が厚い神様です。

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元をたどると戦闘や破壊のイメージが強い大黒天(だいこくてん)

打ち出の小槌(こずち)を持ち、温和で人を助けてくれるというイメージの大黒天(だいこくてん)

大黒天のルーツはインドの神話にあります。

インド語で マハーカーラ と呼ばれ「マハー=大」「カーラ=黒」

日本語に訳すと 大いなる暗黒の神 となります。

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なんとも恐ろしく、強そうです。

そんな恐ろしいインドの マハーカーラ ですが、中国へ伝わると 大黒 と訳され、がらりと印象を変えます。

それは、マハーカーラの 戦闘神  軍神  財福神 の3つの性格のうち、 財福神 としての性格が強調して祀られるようになったからです。

そして、その性格は日本へもそのまま伝わり、柔和な顔つきの大黒天に変わり、にっこり笑顔が印象的な福の神としてのお姿となっていきました。

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農民から天下人へと大出世を果たした豊臣秀吉は、大黒天をお守りとして肌身離さず身に着けていたことで有名でした。

豊臣秀吉の名が世間に轟くようになると、彼が信仰していた大黒天は出世・開運にもご利益があると広く伝わるようになりました。

秀吉の他にも加藤清正や徳川秀忠も、大黒天を信仰していたそうです。

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毘沙門天(びしゃもんてん)は四天王(してんのう)リーダー格の多聞天(たもんてん)のソロ活動

グループ活動とソロ活動では芸名がちがう、といった芸能人はいるかと思います。

毘沙門天(びしゃもんてん)は四天王多聞天(たもんてん)でもあるわけですが、四天王の活躍以外でもソロ活動で人気が出た神様です。

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四天王として北を守る、多聞天(たもんてん)勇ましい甲冑を身につけ 左手に宝塔を持っています。

多聞(たもん)とは すべてを一切聞きもらさぬ知恵者 という者

毘沙門天(びしゃもんてん)は、勝負ごとの神として信仰を集めています。

軍政家としてだけではなく、非常に信仰心の強い武将であった上杉謙信(うえすぎけんしん)も毘沙門天(びしゃもんてん)を信仰していたそうです。

 

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唯一の女性、弁財天(べんざいてん)は有名芸能人にも信仰される芸能の神様

弁財天はもともとはインドの神様で、作物を豊かに実らせる 川の女神 として信仰されていました。

川の流れる音が 音楽や言葉にたとえられることから 音楽・芸能・学問の神へと変化します。

日本は稲作が中心でしたから、水が大切であり、水の神である弁財天は多くの人々に知られ信仰されました。

日本各地の水辺や島に祀られ、今でもなお、親しまれています。

また、芸能の神 でもあることから、堂本剛一、松任谷由美、長渕剛、坂本龍一、喜多郎といった芸能人にも弁財天信仰の方が多いようです。

 

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福禄寿(ふくろくじゅ)の頭の長さには意味があります

中国三大宗教(儒教・仏教・道教)の一つである道教の神様です。

道教において(ふく)(ろく)寿(じゅ)の三文字は

福 子宝にめぐまれる

禄 お金に恵まれる

寿 長生きできる

子孫繁栄、金運上昇、健康長寿の御利益をもたらします。

この3つの願いは、中国の三大宗教である道教の願いと一致しています。

知恵者は重い頭を垂れるという言い伝えがあります。

これは、賢い人は頭が重くなってしまって、下を向いてしまうという意味です。

つまり、頭が大きければ大きいほど知恵者という意味なのです。

特徴的に頭の大きい福禄寿参拝すると自分の学力向上にもつながると考えられています。

 

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長いひげと桃を持つ手が特徴の寿老人(じゅろうじん)

寿老人(じゅろうじん)は福禄寿(ふくろくじゅ)と同じく道教の神様です。

中国三大宗教の道教では、なかなか見ることのできない南極星(なんきょく)を南極老人、寿星などと呼び、見た者は寿命がのびると教えられます。

この南極星からやってきた神様が寿老人(じゅろうじん)であり、人々へ健康長寿を授けるとされています。

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桃を持っています。

桃は中国では不老長寿のシンボルです。

七福神の他の神様は、商売繁盛など何かしらお金に関わる面でご利益をもたらしてくれます。

しかし、寿老人の主なご利益は長寿です。

そのため、七福神の中でも少し異質な存在であるといえるでしょう。

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唯一実在した布袋(ほてい)大きな袋の中身は?

実在した8世紀の唐末期の禅僧 契此(かいし)がモデルになったといわれています。

常に袋を背負っていたことから布袋(ほてい)と呼ばれるようになりました。

心の大きさを表しているのが手に持っている袋だと考えられており、心や度量が広い神様として知られています。

説によると、この袋は堪忍袋だといわれており、堪忍袋の緒が切れるという表現の元になったそうです。

これほどまでに大きな袋がはちきれるくらいよっぽどのことが起こったという状態を表現しています。

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七人の福の神が海の彼方から所せましと宝船に乗り合わせ、笑顔で到来し、

人々に幸福をもたらす、まさに七福神開運招福を願う信仰です。

笑う門には福来る(わらうかどにはふくきたる)

チームにおけるリーダー格であったり、組織において部下がいたり、家族の一員であったり、立場は様々であれ、笑顔が与える周りへの影響はとても大きいかと思います。

七福神の笑顔から開運招福を頂き皆様が素敵な笑顔になれますように。

誰もがあなたの素敵な笑顔を見たがっているかもしれません。

只管打坐(しかんたざ)|坐禅の十徳

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