他人の過ちは見やすくおのれの過ちは見難い|懺悔文(さんげもん)
いったん嫌いになった人に対しては、欠点が目につきやすくなり、明らかに間違った言動を見てしまうと、ますます許せなくなったりします。
これが反対に自分のこととなると、犯した過ちをなんとか正当化しようとして、言いつくろい、逆に状況をおかしくしてしまいます。
『他人の過ちは見やすくおのれの過ちは見難い』
この言葉は、私たちは例外なく自分の過ちに気づかずに生活してしまっているという事実を教えてくれます。
「同じ過ちを二度としない」
と心に強く誓うのが、懺悔です。普通は、懺悔(ざんげ)と濁って読みますが、仏教では懺悔(さんげ)と濁りません。
自分の足元を省みる言葉が「懺悔文(さんげもん)」というお経です。
我昔所造諸悪業(われ昔より造れる諸々の悪業は) 皆由無始貪瞋癡(みな無始の貪瞋癡に由りて) 従身口意之所生(身と口と意より生じるものなり) 一切我今皆懺悔(一切われ今懺悔したてまつる) |
【現代語訳】
私がおかしてきた多くのあやまちは、
その始まりもわからないほどはるか遠い過去からの、貪り、怒り、愚かさの 三毒 によるものであり、自らの身体と言葉と心によりなされてきたものです。
私は今、それら一切を心より懺悔いたします。
私たちの身や心を毒する三毒(さんどく)
貪とん むさぼる心、必要以上に欲しがる心、欲 瞋じん 怒りの心、憎しみの心、怒りをぶちまけること 痴ち おろかさ・愚痴・無知 |
自分の欲望のままに貪り、
自分の思い通りにならないと怒り、
目の前のことばかり見て後先のことを考えられない…
といったところでしょうか。
三毒によって害を受けるのは、それを起こしている本人です。
人の過ちをあれこれと指摘する前に、まずはひと呼吸おいて、自分自身のことを振り返って考えてみるゆとりを持ちたいものです。
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