時代の申し子、お釈迦様|仏教のはじまり|インドの歴史から
約2500年の時の流れを経て、現在もなお、約3億人もの人々の心の拠り所となっている「お釈迦様の教え」
お釈迦様は紀元前7~5世紀頃にインドで生まれました。仏教を客観的にとらえるには、まず、インドの歴史を知る必要があります。
インドはヒマラヤ山脈をはじめとした山々が壁のように覆い、他地域との交流を困難にしております。唯一のカイバル峠という峠を越えてきたのがアーリア人という白人です。
インドの歴史というのは、異民族と先住民族とが混じりあい影響しあって独自の世界を形作っているのです。
アーリア人は、インダス川よりも肥沃なガンジス川流域へと移動し、先住民から農業を学び、また鉄製の道具を使い始め、麦に代わって稲の栽培をおこなうようになりました。
生産力が向上し、余剰作物が増え、余剰作物が増えると共同体が大きくなります。そして共同体が大きくなると、農作業をしない階級、つまり支配階級が生まれるのは歴史の必然です。
こうして紀元前1000年頃から、ガンジス川流域に階級社会が誕生しました。カースト制度です。
司祭階級→武人階級→庶民階級(商人)→奴隷と階級を設定し、最上位階級であるバラモンの祭式によって、知識を知り、神々に願い事を叶えてもらい、当時のインドの人々は部族中心の社会で暮らしていました。バラモンとは何か特定の宗教の教えではなく、インド一般の思想・世界観を指しております。
紀元前600年~紀元前400年頃にかけて、インド社会は大きく変容します。ガンジス川流域では鉄製の農具をつかった開発が数百年続き、密林だったガンジス川流域には田畑が増え、商品経済や都市が発達します。
物々交換からお金(貨幣)の経済となったのもこの頃です。
ガンジス川を行き来する商人たちが銀貨や銅貨を使いはじめたことで、物流はさらにスムーズになり、大金持ちになる商人も出てきました。
商品経済が発達すると、都市が成立しはじめます。都市化がすすむと、「個人」として生きる人が多くなります。なぜなら、昔ながらの部族社会(バラモン)に帰属しなくても、都市でおカネを稼げば生きていけるからです。血縁で生き方が決まる社会から離れ、自らの努力で自分の生き方を決めることができるようになったのです。
経済の発展と共に絶対的なバラモンの力が衰え、階級社会が崩壊に向かい混乱し始めたのです。
人々は古い価値に疑問を持ち、新しい価値を探し始めました。混迷と希望が入り混じった混沌とした社会でした。そして、その混迷からか戦乱も相次いだとの事です。
人々は新しい教え(思想)を求めるようになりました。
インドが社会的にも、思想的にも転換期を迎えた時代に、お釈迦様は誕生されました。まさに時代の申し子であります。
国を治める王族の王子として生まれ、王宮での生活の中で、人生における人間の様々な悩みや苦しみ、悲しみを感じ、29才で修行生活に入られ、6年後、全ての欲望を離れた、心おだやかな状態、「悟り」を体得されました。
「悟り」とは、お釈迦さまが、自らの生活の中から見いだした生死(せいし)を初めとする様々な苦しみを、自らの努力によって乗り越え獲得することのできた、欲望を離れた、心おだやかな平安の境地です。
その後、お釈迦さまが、全ての生きとし生けるものの命の尊さと平等を中心に、慈愛(じあい)に満ちた心で多くの人々に説かれた仏教は、2500年以上にわたり様々な展開を見せながら伝えられてきました。
私たちは今、その多くの道しるべをもとに、誰からの強制や束縛を受けることなく、心の平安を求めることができます。自らの人生の中から、自らを取りまく環境の中から、そして、全ての命との関わり合いの中から自らが見いだす道、それが仏教なのです。
この記事へのコメントはありません。