長野原かるた|寺を支えた人々
本日は町内の小学校の校外学習 長野原かるた巡り で児童、引率の先生の皆様にご来山頂きました。
長野原町の町政施行百周年を記念してできた長野原かるたは縄文の昔から現在にいたるまでの町の歴史や、現在の町のすがたがうたわれています。
雲林寺の歴史をクイズ形式で出させて頂きました。
面白い結果となった問題は
開基(かいき)とは寺院を創立した人です。
長野原かるたに登場する人物を出し3択で質問しました。
① し 初代の町長 桜井伝三郎
② く 群馬の政治家 野口茂四郎
③ は 羽根尾城 豪勇無比の海野兄弟
答えは ③海野兄弟(海野長守門)なのですが、子ども達のほとんどが
②野口茂四郎 に手を上げました。
野口茂四郎と答えた理由を子ども達に聞くと、 茂四郎トンネル ができるほど偉い人だからそうです。
トンネルの名前の由来となった野口茂四郎(1856~1913)は、県費だけでは東西の吾妻を結ぶ道路の開削が困難であるため、自身の家財をなげうってまで完成させた偉大な方です。
草津町(草津温泉で有名)、嬬恋村(キャベツで有名)、長野原町(八ッ場ダム)の3ヶ町村の開発のため、私財を投じて開通させ、大きな功績を残しました。
野口茂四郎は雲林寺の檀家様であり、寺院内に祀られるお位牌を皆さまに見せて説明させて頂きました。
戒名は 天徳院太量政道居士 です。
孤立社会といっても差し支えない現代社会
そんな時代において、子どもたちにもしっかり生き抜ける善悪をわきまえた優しい人間となってほしいと願っております。
生きていることは、決して自分一人の力ではない
感謝の大切さ 自分が日々煩悩にまみれているのか、気づくこと 家族の大切さ、ありがたみ 周囲の人との協調性の大切さ |
これらのことは、なかなか日々の生活だけでは自力で学ぶのが難しい、のではないでしょうか。
仏教を通して 人間関係を深めたうえで、忘れがちだけど人間として生きるうえで大切な道徳を身に着けてもらいたいと考えております。
長い歴史をもつ雲林寺、次世代へと繋がっていくことを願っています。
ただ、近年ではお寺の役割や意義という事も問われています。
雲林寺を支えて頂いた、歴史上の人々に感謝しつつも現代の形にアップデートし、
より魅力的になることが重要なのかもしれません。
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