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長野原かるた|寺を支えた人々

本日は町内の小学校の校外学習 長野原かるた巡り で児童、引率の先生の皆様にご来山頂きました。

長野原町の町政施行百周年を記念してできた長野原かるたは縄文の昔から現在にいたるまでの町の歴史や、現在の町のすがたがうたわれています。

群馬県吾妻郡長野原町長野原73 雲林寺0279-82-2201

雲林寺の歴史をクイズ形式で出させて頂きました。

面白い結果となった問題は

雲林寺クイズ

開基(かいき)とは寺院を創立した人です。

長野原かるたに登場する人物を出し3択で質問しました。

①  初代の町長 桜井伝三郎

②  群馬の政治家 野口茂四郎

③  羽根尾城 豪勇無比の海野兄弟

答えは ③海野兄弟(海野長守門)なのですが、子ども達のほとんどが

野口茂四郎 に手を上げました。

野口茂四郎と答えた理由を子ども達に聞くと、 茂四郎トンネル ができるほど偉い人だからそうです。

茂四郎トンネル 雲林寺 長野原

トンネルの名前の由来となった野口茂四郎(1856~1913)は、県費だけでは東西の吾妻を結ぶ道路の開削が困難であるため、自身の家財をなげうってまで完成させた偉大な方です。

草津町(草津温泉で有名)、嬬恋村(キャベツで有名)、長野原町(八ッ場ダム)の3ヶ町村の開発のため、私財を投じて開通させ、大きな功績を残しました。

野口茂四郎は雲林寺の檀家様であり、寺院内に祀られるお位牌を皆さまに見せて説明させて頂きました。

戒名は 天徳院太量政道居士 です。

私の曾祖父である、27世住職 古典省吾大和尚(~1946)の時代です。

 

野口茂四郎 位牌 雲林寺 長野原

雲林寺の開基は 海野長門守幸光 ウンノナガトノカミユキミツ(1507~1581)で、永禄2年(1559)3月15日に雲林寺を創立しました。
戒名は 雲林院殿前長州洞雲全龍大居士 です。
雲林寺0279-82-2201 群馬県吾妻郡長野原町長野原73
野口茂四郎の戒名と比較すると
天徳院太量政道居士     (野口茂四郎
雲林院殿前長州洞雲全龍大居士(海野長門守幸光
戒名の長さの違いが分かります。
野口茂四郎の偉大な功績は祖父(28世)からたくさん聞いてはいたものの、開基(雲林寺を創立した人)である海野長門守幸光の功績は時代が遠すぎて聞くまでもありませんでした。
残念ながら書籍にもありません。
ただ、お寺を創立する という、ことは当時、相当な財力、権力があり、寺院に思いがあったのではないかと想像できます。
雲林寺
今日、校外学習で来られた子ども達は、目をキラキラさせ雲林寺の歴史に興味を持って頂けました。

孤立社会といっても差し支えない現代社会

そんな時代において、子どもたちにもしっかり生き抜ける善悪をわきまえた優しい人間となってほしいと願っております。

生きていることは、決して自分一人の力ではない

感謝の大切さ

自分が日々煩悩にまみれているのか、気づくこと

家族の大切さ、ありがたみ

周囲の人との協調性の大切さ

これらのことは、なかなか日々の生活だけでは自力で学ぶのが難しい、のではないでしょうか。

仏教を通して 人間関係を深めたうえで、忘れがちだけど人間として生きるうえで大切な道徳を身に着けてもらいたいと考えております。

長い歴史をもつ雲林寺、次世代へと繋がっていくことを願っています。

ただ、近年ではお寺の役割や意義という事も問われています。

雲林寺を支えて頂いた、歴史上の人々に感謝しつつも現代の形にアップデートし、

より魅力的になることが重要なのかもしれません。

野口茂四郎|100回忌法要

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