雲林寺の鐘楼堂(しょうろうどう)
「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る…」
ほとんどのお寺の境内には大きな鐘がぶら下がっています。
お寺イコール鐘、のイメージがあるようです。
この大きな鐘を梵鐘(ぼんんしょう)と呼び、
梵鐘(ぼんしょう)を撞く建物を鐘楼堂(しょうろうどう)と呼びます。
ではなぜ、お寺には大きな鐘があるのでしょうか?
お寺はその昔、お年寄りや子どものための福祉施設でした。
朝と夕方に鐘を鳴らし1日の始まりと終わりを知らせていました。
学校のチャイムのような役割を果たし、時間を知らせるのがもともとのお寺の鐘の意味でした。
鐘の下にはなぜか大きな穴があります。
あきらかに意図的に造られた穴です。40㎝の正方形です。
この大きな穴は能楽堂の舞台にヒントがあります。
能楽堂の舞台の床下には、地面に数か所穴が掘られ、そこに大きな甕(かめ)がいくつも置かれているのです。
これは舞台の音響条件を良くしていると言われています。
遠くまで音を響かせているのです。
お寺の鐘も同じで、できるだけ音を遠くに響かせたいため、下に穴が掘られているのです。
除夜の鐘では、足下が暗いので、穴に気をつけて鐘を撞いて頂きたく、思います。
鐘の上の表面には何やらデコボコした突起が付いています。
これは「乳(にゅう)」と呼びます。
やはり梵鐘の音響効果を高めるためのものとされています。
煩悩の数と同じく「乳」が108個並べられています。
仏の髪の毛、螺髪(らほつ)をかたどっています。
鐘そのものが仏様の姿と重なって見えませんか?
鐘をつく「撞木(しゅもく)」が当たる部分を「撞き座(つきざ)」といいます。
その周りを飾っているのは、蓮(はす)の花です。
蓮(はす)は、泥水の中でも美しい花を咲かせることから、煩悩に汚されることのない仏の悟りを表しているのです。
鐘の音は古くから仏の声だといわれてきました。低く重い響きが特徴です。
低い響きを生み出す秘密は、鐘の厚みにあります。7㎝あります。
この厚みが低い音を生み出すのです。
鐘の表面には立体的に浮かび上がった文字がたくさんあります。
この文字は銘(めい)と言い、鐘が作られた由来やご利益などが記されています。
旧梵鐘は天保7(1836年)年9月、18世古韻雲松大和尚の代、横壁の萩原太良右衛門氏の寄進で郡内勅許鋳物師(いものし)小島七右衛門の鋳造になる爾末久しく大衆随喜の法器なりしが昭和18年9月戦争の為献納せり今回講和成立により再鋳を発願するや衆亦賛しここに再鋳なる是覚に佛祖の冥佑と檀徒の熱盛なる協力の賜りなり記して後世に傳ふ
昭和28年9月 28世大慈悲提三謹識 |
大勢のお名前があります。当時の総代と世話人の皆様のお名前です。
総代 長谷川四郎 野口鶴三郎 山口壽足 櫻井 武 櫻井東介 宮崎要三
世話人 萩原 辰 萩原 宗 星河鯛一郎 冨澤喜四郎 唐澤元義 野口弥三郎 田村 学 小林覚治郎 小林誠一郎 浅沼久太郎 浅見岩雄 佐藤初枝 櫻井八重八 湯本武雄 塩野要三 篠原源治郎 篠原仙太郎 |
当時の壇信徒皆様のご協力があっての梵鐘、鐘なのです。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 |
平家物語の冒頭の言葉は、日本人ならたいてい一度は学校で覚えたりして知っています。
一度鳴ると必ずその音は厳かに消えていく、 これぞ無常の響きであると平家物語では伝えられています。
生まれるものは必ず死に、出会いには必ず別れがやってきます。
生まれては日々年老い、この世には同じであることが継続することはありません。
これを無常といい、仏教の大切な教えであります。
雲林寺では 毎日午後6時に鐘を撞いています。
どなたでも鐘を撞けますので、是非、撞いてみませんか。
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